【チーム500登録者インタビュー】府中市 和知啓子さん

【チーム500登録者インタビュー】府中市 和知啓子さん


“矢野温泉復活”と建物修繕で
つながりを未来へつなぐ


和知 啓子さん

自然の森MG ユースホステル ペアレント


-PROFILE-

府中市出身。上下まんまる屋、上下まちづくり協議会など、地域活動を幅広く行う。



和知さんのキーワード
1. 事業承継
2. 「 やるか、やらないか」
3. 旅人と地域をつなぐ




全国の旅人から慕われた
“伝説”のユースホステル




 私は、府中市上下町にある「自然の森MGユースホステル」のペアレントとして、管理運営を行っています。「ユースホステル」とは、ドイツで始まった宿のネットワークで、100年以上の歴史があります。世界中に宿があり、日本全国では約140ヶ所あります。ユースとついていますが、若い世代だけでなくさまざまな方が利用できます。このホステルは1959年に広島県初の民営のユースホステルとして開業しました。創業者の森岡敏行さんと森岡まさ子さん夫妻を慕って、全国からお客様が集い、ここで出会った人たちのところを訪ねて旅をする「MGっ子ラリー」という動きまで開催されるほど“伝説的”でした。



 そんなホステルを創設者の森岡まさ子さんから引き継ぎ、今年で20年になります。引き継いでからは、地域にこの場所を残したいという思いで、さまざまな活動を行っています。福塩線上下駅にある「上下まんまる屋」は、2018年に空き店舗になっていた上下駅の元飲食店の場所を生かそうと立ち上げました。曜日によって出店者が変わるというスタイルで、カフェ、お好み焼き、定食が楽しめます。現在は、出店者さんが中心となって運営しており、私はその責任者として関わっています。また、上下のまちづくり協議会や教育委員会などでも活動させていただいており、それらの動きはみな、このユースホステルを引き継いだことで生まれました。生まれ故郷でもある上下町のためにさまざまな活動をできることが今はありがたいです。



“箱入り娘”の高校時代に得た
旅人たちとの刺激的な出会い



 初めてこの場所に来たのは、私が高校生のころでした。近所の方が、森岡さんと親しくしていて、私をここに連れてきてくれたのです。当時高校生の私は、この町から出ることすら両親からなかなか許されませんでしたが、近所の親しい人が一緒ならいいよ、と言ってくれたのだと思います。

 初めて玄関を入ると「おかえり!」と出迎えられ、大勢の旅人たちとみんなで歌を歌いました。ユースホステルは、どこもそうやって旅人が帰ってくる場所として迎え入れるのですが、最初はさすがに驚きましくた。しかし、旅人たちからいろいろな話を聞くうちに旅をした気分になり、知らない世界のことをたくさん知ることができたのです。田舎だから、どこの子どもかはすぐにわかってしまうような地域。でも扉を一枚入った先には、異国のような場所がありました。初めて会う人から知らない場所の知らない話を聞けたり、家族には話しにくいようなことでもここで出会う人には話せたりする、私にとって天国のような場所だったのです。



「やるか、やらんかよ」の言葉に
背中を押されて決意した承継



 ホステルがある敷地はもともと上下町の所有地でした。当時は上下町と府中市が合併する数ヶ月前でしたが、合併後は府中市が所有することに。高齢化により一時的に休業していた森岡さんは、管理者として敷地内に住んでいましたが、このまま休業が続けば、森岡さんも転居せざるを得ないという状況になり、私に引き継がないかと話がありました。

 森岡さんからは「できるかできないか、じゃなく、やるかやらんかよ」と言われました。それまで病院で仕事をしていた私は、ホステルの経営のことは何もわからずできるか不安はありました。しかし「子どもの頃からたくさんの刺激や出会いをもらっていたこの場所を残したい」その一心で引き受けることにしたのです。


 引き継ぐことになってからは、ほとんど自宅に戻らずにここで寝泊まりして働きました。ペアレントとしての仕事を厳しく教え込んでもらい、徐々に慣れていきました。森岡さんは2008年に他界され、現在まで私が管理運営を行っています。

 ここに訪れる人々は、ここでエネルギーを蓄え、また旅立ちます。そんな人々と関わることが私の原動力となり、現在まで続けることができていると感じています。



地元の矢野温泉を復活させ
旅人と地域をつなぐ拠点に転換



 森岡さんの元住居であるログハウスが老朽化し、壊すかどうかの選択をしなければならない時期がありました。しかし、ここに宿泊したお客様と一緒に作ったという思い入れのあるログハウスは、お金がかかってでも残したいと思ったのです。府中市に、資金調達は自分達でするので修繕させてほしいと依頼し、2022年12月から2023年1月にかけて広島県が主催するクラウドファンディングにも挑戦しました。その結果、目標金額を集めることができました。

 また昨年は「元気さとやま応援プロジェクト補助金」も活用して、ログハウスの新たな展開に向け修繕を進めています。

 地域の人に愛されていた「矢野温泉」が休業してから、矢野地区で温泉に入れるのはここだけになりました。そのため、ログハウスを地域の人が気軽に利用できる温泉付き施設として整備していく予定です。そうすれば、「矢野温泉」を復活させることもでき、この修繕活動も自分ごととして考えていただけると思ったのです。それだけでなく「矢野温泉」は、敏行さんが、原爆の被爆治療のためにここに住み着いたという過去もあります。



 今までMGユースホステルは、旅人の宿だと思われていて、地域の人にとってはあまり馴染みがないようです。しかし今後は、このログハウスを温泉施設として地域の方にも利用していただき、地域と旅人とをつなぐ場所にしていきたいと考えています。

 現代の人にこそ必要な、お金では買えない経験や人とのつながりを感じる場づくりを、これからも未来のために行っていきます。